Latina / 内なる印象 『近代スペイン音楽をチェンバロで』 

ana/records (アルト・ノイ レコーズ) 税込¥3,000

『近代スペイン音楽をチェンバロで.....楽曲に新たな「いのち」を与える画期的な成果』

これまでにJ.S.バッハ、ラモー、ロワイエ、デュフリなどを弾いて、精気と自発性に富むCDアルバムを聴かせてきた大木和音が、ここに一枚、非常に意欲的な録音を発表する。曲目はほとんどがスペインの楽曲、それも本来のチェンバロ曲はD.スカルラッティとA.ソレールのみにとどめられ、あとはアルベニス、グラナドス、ファリャ、モンポウ......すなわち、近代のピアノ曲になっているのだ。近代スペイン民族主義の諸作をチェンバロで弾くという行ないは、先例が皆無ではないにせよ非常に珍しい。そして特筆すべきは、演奏がそれなりの主張を持って立派に”生きたもの”となっていることであろう。
 スペインと言えばすぐに想起されるのは、この国の”国民楽器”であるギター。ロドリーゴ、モレノ・トローバ、トゥリーナ、といった20世紀の主要作曲家が自らはギターを弾かぬにも関わらず優れたギター曲を書いたのも、身近にこの楽器があって、その性能や特色に親しむことができた故である。いっぽう、ギター曲を書かなかったアルベニスやグラナドスの作品 ーおおむねピアノ曲ーにも、”ギターの響き”が通っていることを、聴きては感じ取る。古くから言われるように、「スペインの作曲家はギターの言葉で考える」のだ。そこで脳裏に浮かぶのは、同じようにツメ(状のもの)でもって弦をはじいて発音するところから来る、ギターとチェンバロの音色の類似である。すでに18世紀から、後半生をスペインで過ごした作曲家 D.スカルラッティは、ギター的に響く調べをチェンバロ曲の中に取り込み、成果を挙げた。そして今、ここに私たちが聴くのは、例えばアルベニスの楽曲に示される弾力に富んだ力感が、確かに”もう一つのギター”を思わせることである。
 とはいえ、ギターとチェンバロのあいだには、はっきりした相違点もある。かつてクロード・ドビュッシーはこう言った ー「ギターは”表情豊かなクラヴサン”(チェンバロ)である」と。この言葉を裏から読むと「チェンバロは表情のない、あるいは表情に乏しい楽器である」ということになろう。しかし、ここに聴く大木和音の演奏には、たとえギターとは違った流儀に立つものであれ、豊かな「表情」が宿っていることを疑えまい。
 当アルバムの冒頭にはドビュッシー作品がたいそう見事に奏でられているが、これはもしかすると、演奏者が上記のドビュッシーの言葉を知り、「これでも貴方はそうおっしゃいますか?」と、古えの偉大な楽匠に対し、発言の撤回を申し入れたものなのかもしれない。だとしたら、大木和音は天晴れな根性娘である。
ともあれ当アルバムは、近代スペインの楽曲に新たな「いのち」を与える画期的な成果だと言っていい。
                                      濱田滋郎
 

コンセプト

 グラナドス(1867~1916) 、アルベニス(1860~1909) 、ファリャ(1876~1946) 、モンポウ(1893~1987) は、チェンバロがピアノに取って代わられた時代の作曲家である。チェンバロが世の中から姿を消した、言うなれば、チェンバロ暗黒時代の作曲家だ。彼らの脳裏には、ピアノと、ラテン音楽には欠かせないギターの音色があった。
『Latina / 内なる印象』プログラム制作にあたり、ラモーをはじめとするラテンバロック•プログラムの次に来るものを考え、また大木和音の愛器、バロック時代最晩年のチェンバロ、クリスチャン•クロール(1770年)が持つ新機能を考慮した時、チェンバロによる新たなラテン音楽が湧き上がってきた。
 例えて言えば、バンドネオンは、ドイツで生まれ賛美歌の伴奏楽器として製作され世に生まれたが、時代とともに姿を消したと思われた。しかし後、タンゴには欠かせない楽器として生まれ変わり、現在では様々なジャンルで演奏されている。
 チェンバロもそう有るべきと、私は思う。バロック時代では欠かせない、一時期頂点に立ったチェンバロも進化を遂げなければならない時が来たと言うことである。すべての楽器は、様々にその表現力を変え現代に至っている。
今回のプログラムは、チェンバロで演奏されたことのない曲ファリャ、グラナドス、アルベニス、モンポウなどが、バロック音楽/スカルラッティ(1685~1757) 、ソレル(1729ー1783) と共に演奏され、時代を超えた空間を織り成し、ラテン音楽に新たな方向から光を当てたものである。
                                                                                                                                                                      
                                                                                                    統括プロデューサー 狩野 真

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